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hiyama takeshi
1975/2/13
音と飯を日々創作
ダラブッカ奏者
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03年 UTAKATA結成(休止中)
myspace
UTAKATA

07年 asarator ensemble unit
Huayruro結成

あさらと教室主催

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2011/5/15

快晴です。

 
昨夜お世話になったお宅。 いわき公園。

ここら辺は被害も少なかった地区みたいで、平穏な空気。公園内には若い夫婦や子供達が穏やかに過ごしてて、自分が何処に何しにきたのか錯覚をおこしそうになりました。


11:00 家探しへ

移住の候補となっている家を見に行く事に。その家は市街地から北へ車で20分離れた山の麓にありました。向かう途中に何度も電話が入り「海沿いだけど空き家が出た」「仮設住宅が空き17:00までに返答しないと」などの情報が飛び交います。こんな毎日を過ごしているそうです。本来、自分達で探した物件、空き家は不動産を通す条件下で6万円以下の家賃なら行政が全額負担との事なのですが、いわき市はまだ体制が遅れててあやふやになっているのが現実みたいです。


14:00 広野町


ここは半径20k圏内(自主避難区域)になるのですが、防護服も計測器も規定数与えられない中で毎日のように働いている人達がいます。自身の御家族や私たちの為にでもあります。


福島県の中では津波被害が大きかった場所で、瓦礫の後ろには沢山家が在ったそうです。広野地区はやはり放射能問題などもあり、人の気配も無くすれ違う車も自衛隊の車が多かったです。


15:00 四倉町

  
なんて表現して良いのやらわかりません。当時、津波はあっと言う間に胸の高さまできて、みんな逃げ惑う中でお母様は必死に近所の子供を助けていたそうです。


友人はここでお店をやるのが夢でした。


海は水位が上がったままらしいのですが、きれいな青してました。


最後に。

自分が体感したこの二日間を出来るだけ忠実に記事にしました。心配している声や協力したい声が多く、この場をかりて伝えればと思いました。ただ、伝えきれてない部分もあると思うのでより詳しい話は会う機会があればその時に話せればと思っています。それから友人の家は海沿いの空き家に住む方向なのですが、その際には家電や家具など一から揃えなければなりません。もし買い替えなどで余っている家具などあれば自分宛に一報下さい。

よろしくお願いします。




追記です。友人から連絡もらい家の方が決まったとの事です!


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